| 제 목 : 今週の御言葉(毎日世界へ伝えられる福音のメッセージ)第109回 | 조회수 : 8 |
| 작성자 : Barnabas | 작성일 : 2026-03-28 |
「そして今、私は御霊に縛られてエルサレムへ行きます。そこで私にどんなことが起こるのか分かりません。ただ、聖霊がどの街でも、私に結縛と患難が待ち構えていると証ししておられます。しかし、私の走るべき道と、主イエスから受けた使命、すなわち神の恵みの福音を証しする仕事を全うするためなら、私は自分の命を少しも惜しいとは思いません。今、私は知っています。私が神の国を宣べ伝えて歩き回ったあなたがたの誰もが、二度と私の顔を見ることはないでしょう。ですから、今日、あなたがたに証言します。私はすべての人たちの血に対して清いです。なぜなら、私はためらうことなく、神の御旨をすべてあなたがたに伝えたからです。」
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パウロが自由な身で福音を宣べ伝えていた時が終わろうとする時、聖霊がパウロの将来について語られました。「これから、さらに激しい結縛と患難がお前を待っている」。それまでパウロは福音のために無数の苦難を経験してきました。それでも聖霊は、それよりもさらに激しい苦難が彼に近づいていることを語られました。このような聖霊の声を聞いても、パウロの信仰は弱まりませんでした。彼はむしろ福音を宣べ伝えるために、残りの人生のすべてを捧げることを覚悟しました。このような大胆なパウロの信仰の根拠は何でしょうか。
それは、十字架で死なれたイエス・キリストが創造主なる神であるということを彼が悟ったからです。そして彼は、天国と地獄が実際に存在することを知ったのです。もともと彼は、イエスを信じる者たちを縛り、獄に入れ、殺す者でした。神のためだと言いながら、イエスを信じる者たちを捕らえて殺そうと、あらゆるところを探し回りました。彼が道を歩いている途中で、イエス・キリストに直接出会いました。その時、イエスこそが神ご自身であるということを彼は悟ったのです。
彼は神のために努力しましたが、かえって神の働きを妨げていました。自分の間違った信仰を彼は悟りました。その時から彼の人生の目標は180度変わりました。ただイエスのために生きる者に変化したのです。彼がイエスを知らなかった時、クリスチャンを極度に迫害しました。しかし、彼がイエスに出会った時、真理を悟り、イエスだけのために生きる者に変化しました。彼は聖書の言葉ではなく、長老たちの言い伝えを通して神を信じていました。その時、彼の目には悔い改め、聖霊を受けてイエスを信じる者たちが、それほどまでに憎かったのです。聖霊を受けてイエスを信じる者たちは、彼の目にはすべて異端者でした。
当時パウロが従っていた長老たちの言い伝えは、今日の人間の教理です。人間の教理はサタンが主導して作ったものです。サタンは聖書の言葉を捨てさせ、代わりに人間の教理を信じさせることで、神の民を地獄へと引きずり込んでいく悪しき者です。人間の教理を信じれば、悔い改めと従順は必要ありません。教会に通いさえすれば、無条件で天国に行くと思うのです。ですから、彼らはイエスを一度だけ主と告白すれば、人間の過去・現在・未来のすべての罪が自動的に消えると考えるのです。
ですから、彼らが最も聞きたがらない福音は、「イエスを信じて悔い改め、聖霊を受けて従順になり、天国に行きなさい」というイエス様の御言葉です。変化したパウロは、彼があれほど反対していたイエス・キリストを宣べ伝えました。ただイエスの血が私たちを罪から救い出し、天国の民にしてくださるのだと彼は叫びました。しかし、この救いが達成されるためには、人間の悔い改めが絶対的に必要であると彼は教えたのです。パウロはこの福音を、自分の命を捧げて確実に宣べ伝えました。しかし、この福音を最後まで受け入れない者たちが多かったのです。彼らは主に長老たちの言い伝えに従うユダヤ人たちでした。パウロは彼らにはっきりと言いました。「今、私はあなたがたに福音を伝える責任を果たした。この福音を受け入れず、悔い改めないで滅びることは、あなたがた自身が責任を負わなければならないことだ」。
「あなたがたは自分自身に注意し、また群れ全体に注意を払いなさい。聖霊はあなたがたをその群れの監督者に立て、神がご自身の血で買い取られた教会を牧させられたのです。私がいなくなった後、狂暴な狼たちがあなたがたの中に入り込んできて、群れを荒らし回ることを私は知っています。また、あなたがた自身の中から、弟子たちを引き込んで自分に従わせようと、曲がったことを言う者たちが現れるでしょう。ですから、目を覚ましていなさい。私が三年の間、夜も昼も涙ながらに一人ひとりを訓戒し続けてきたことを忘れないでください。今、私はあなたがたを主とその恵みの御言葉にゆだねます。御言葉は、あなたがたを堅く建て、聖なるものとされたすべての人々と共に、あなたがたに相続財産を受け継がせることができるのです。」
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聖霊が主の僕たちを監督者とし、神の民を世話し管理するようにされました。神はご自身の血で罪と死に陥った教会を買い取り、主の僕たちに任せて、彼らを天国へと導くようにされたのです。神の血とは、イエス・キリストの血を指します。霊なる神が、人間の罪を贖うために人間の肉体をまとわれました。イエスの霊こそがエホバ神であり、聖霊です。お一人の神がエホバであり、イエス様であり、聖霊です。ただ救いの働きを成し遂げるために、お一人の神が三つの姿で働かれるのです。肉体をまとわれた神が、ご自身の血ですべての人類を罪から贖ってくださいました。ですから、誰でもイエスを信じて悔い改める時、罪を赦され、救われるのです。
そして、最後まで悔い改めの人生を歩む者は天国に入り、途中で悔い改めの人生を諦める者は地獄に行くのです。教会に通っていても、聖書の言葉に従わず、人間の教理に従うことは、悔い改めの人生を歩んでいないことであり、悪魔に属する人生となります。パウロから福音を聞いて神を信じた者たちが、後にサタンの誘惑にかかり、人間の教理に従う者が多くなるとパウロがあらかじめ語ったのです。
狂暴な狼が教会に入り込み、神の民を害する。これはサタンの誘惑です。多くの神の民が肉体の欲求に溺れて罪を犯し、悔い改めずに滅びていくのです。サタンは堕落した主の僕たちを使い、人間の教理を作らせました。人間の教理はサタンの道具です。神の民を不従順にさせ、悔い改めさせないようにして地獄へ引きずり込んでいくのが人間の教理です。ただ神の御言葉だけが、私たちの信仰を堅く支え、サタンの誘惑に陥らないように守ってくださいます。
主の御言葉に従うことが信仰です。そして罪を犯した時、イエスの血を信じて直ちに悔い改めなければなりません。悔い改める時、罪によって死んでいた魂が再び生き返ります。罪を悔い改める時、聖霊が来られます。聖霊がこの真理を常に思い起こさせてくださいます。そうして私たちをサタンの誘惑に陥らないようにし、天国へと導いてくださるのです。
「私は、誰の銀や金や衣服もむさぼったことはありません。あなたがたが知っている通り、この手は、私自身の必要のためにも、同行者のためにも働いてきました。このように私は、あなたがたにすべての面で模範を示しました。このように苦労して弱い人々を助けなければならないこと、また、『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた主イエスご自身の御言葉を忘れてはならないことを。」
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使徒パウロは福音を宣べ伝えながら、金や銀や衣服を聖徒たちに要求しませんでした。宣教旅行には当然費用が必要ですが、パウロは直接働いてその費用を賄ったのです。彼は福音を伝える際、誰にも負担をかけたくありませんでした。その理由は、すべての人が純粋な心で彼の福音を受け取ることができるようにするためです。彼は経済的な困難の中でも、かえって貧しい人々を助けました。彼はあらゆる面で人々に迷惑をかけず、模範を示したのです。福音とは、神と隣人を愛し、自分自身の至らなさを常に悔い改めることです。これを通して永遠の救いが成し遂げられるのです。この約束の御言葉こそが喜ばしい知らせ(福音)です。
パウロはイエス様の御言葉を宣べ伝えながら、彼自身がその御言葉を実践しました。ですから聖霊が常に彼と共に働かれ、聖霊の働きによって無数の魂が偶像と罪悪を捨てて神のもとへと帰ってきたのです。聖書は私たちに常に語っています。「受けるよりは与える方が幸いである」。私たちは主のために小さなものを植えますが、主はこれと比較できないほどの大きな祝福をもって私たちに報いてくださいます。私たちの小さな犠牲と献身を通して、主は偉大で永遠の天国を私たちに与えてくださるのです。そしてこの地上でも、私たちが植えたものの30倍、60倍、100倍にして返してくださいます。これが福音です。受ける者よりも与える者の方が幸いなのです。
今の主の僕たちの人生はどうでしょうか。お金を稼ぎ、名誉を得るために牧会をする者が多すぎます。このような牧会は主のためにすることではありません。自分自身のために牧会をしているのです。すべての主の僕がパウロのように牧会をすることはできません。基本的には必要な生活費の支援を受けるべきです。しかし、多くの牧師が度を超えた世の栄光と贅沢を求めています。これは主の心を痛めることです。貧しい教会員がそのような姿を見る時、彼らの心の門は閉ざされます。イエスを信じたいという思いが消えてしまいます。このような牧師たちを通して、命の福音は宣べ伝えられません。聖霊を悲しませる者が、どうして命の御言葉を伝えられるでしょうか。主の僕はあらゆる面で聖徒たちに模範を示さなければなりません。牧師たちの従順と悔い改めこそが、説得力のある説教になるのです。
「この人には預言をする四人の未婚の娘がいました。私たちが何日か滞在していると、アガボという預言者がユダヤから下って来ました。彼は私たちのところに来て、パウロの帯を取り、自分の手足を縛って言いました。『聖霊がこう言っておられます。エルサレムでユダヤ人たちが、この帯の持ち主をこのように縛り、異邦人の手に渡すことになる。』私たちがこの言葉を聞いたとき、私たちも地元のパウロも、エルサレムに上らないようにとパウロに勧めました。するとパウロは答えました。『あなたがたは、なぜ泣いて私の心をくじくのですか。私は主イエスの名のためなら、エルサレムで縛られることだけでなく、死ぬことさえも覚悟しています。』彼が聞き入れようとしなかったので、私たちは『主の御旨が成りますように』と言って、勧めるのをやめました。」
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使徒パウロが異邦の地へ出て福音を宣べ伝え、ユダヤの地へ帰ってくる時でした。使徒パウロが伝えた福音は、ただイエス・キリストでした。イエス様が人類の罪を代わりに背負って十字架で死なれ、復活されました。その時から旧約の律法と祭りと犠牲は廃止されました。ユダヤ人も異邦人も、皆イエスを通して救われる時代が開かれたのです。パウロはイエス様の御旨に従って、異邦人に福音を伝えました。しかし、多くのユダヤ人が依然としてイエスを救い主として受け入れませんでした。彼らはモーセの律法だけを守ることを望み、イエスの御言葉を拒んだのです。
ただイエスを通してのみ救われる時代となりましたが、ユダヤ人たちはこの福音を悟ることができませんでした。これは、彼らが旧約聖書にすでに約束されていたイエス・キリストを受け入れず、信じなかったためです。そのため、使徒パウロは異邦の地へ出て福音を宣べ伝えるしかありませんでした。当時、異邦の地に住んでいたユダヤ人たちでさえ、使徒パウロが宣べ伝える福音に反対しました。彼らは異邦に住みながらパウロが行っていることを目撃し、それを本国に知らせ、一丸となってパウロを迫害しました。
律法主義や人間の教理に囚われている者たちは、サタンに属する者です。ですから、どこにいてもこのような者たちは救いの福音に反対するのです。ある預言者が、使徒パウロがエルサレムに入れば、彼に反対する者たちによって彼が縛られ、苦しみを受けるということを公に語りました。しかし使徒パウロは、人間が与える苦しみに屈しませんでした。パウロは福音を伝えるために、自分の命を捧げることをすでに覚悟していました。彼にとって迫害や苦しみを避けることは目的ではありません。彼を害する者たちを含め、すべての人々に福音を伝えて、彼らを救うことが目的なのです。
イエス様は十字架の苦しみを知りながらも、この世に下られ、人類のために迫害され、死なれ、復活されました。使徒パウロも、死と無数の苦難が近づいていることを知りながら、その命を捧げて彼の使命を最後まで成し遂げたのです。今日の主の僕たちやクリスチャンたちは、預言や賜物を通して肉体の有益を得ることだけに集中してはなりません。多くの魂を救う福音のために、自分自身を犠牲にする準備をしなければなりません。
「彼らは今、私を告発しているすべてのことについて、閣下の前で何の証拠も提示できません。しかし、私は閣下の前でこれを告白します。私は、彼らが異端と呼ぶ『道』に従って、先祖の神に仕え、律法と預言者の書に記されていることをすべて信じています。また、神に対して彼らと同じ望みを抱いています。それは、正しい者も正しくない者も、やがて復活するということです。このために、私もまた神と人に対して常に良心に責められることのないように努めています。」
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パウロが諸国に福音を宣べ伝え、本国に帰ってきました。その時、ユダヤ人たちが彼を殺そうとしました。その理由は、パウロが諸国へ行ってイエスを宣べ伝えたからだというのです。ユダヤ人たちは神を信じていると言いましたが、彼らはイエス・キリストを救い主として信じませんでした。ですから彼らは、イエスを唯一の救い主として宣べ伝えるパウロを異端の親玉として扱いました。旧約のすべての律法と預言者たちは、イエス・キリストがこの世に来られることを語っていました。
しかし、毎日会堂で聖書を読み教えているユダヤ人たちが、この御言葉を悟ることができなかったのです。しかし、使徒パウロはイエスを信じる者たちを激しく迫害していた最中に、道でイエスに出会いました。その時から彼は、イエス・キリストこそが神ご自身であるということを悟り、宣べ伝えました。その時から彼は偽りのユダヤ教を捨てました。ユダヤ教は聖書の言葉を歪め、人為的に聖書を解釈する者たちです。彼らは神の名を呼びましたが、神の御言葉を信じなかったのです。
彼らは死んだ者の復活を信じず、イエス・キリストの血がすべての人類の罪を贖うということも信じませんでした。悔い改める者はすべての罪を赦され、天国に入り、悔い改めない者は地獄に行くという聖書の言葉を彼らは信じなかったのです。なぜ彼らは正しい信仰を持つことができなかったのでしょうか。その理由は、彼らが従順と悔い改めの人生を歩まなかったからです。罪の中に生きながら悔い改めない者は、皆サタンの支配下に置かれています。
形式主義の信仰で生きるユダヤ人たちは、聖霊を受けることができません。聖霊の助けなしには、誰も聖書の言葉を正しく悟ることはできません。このような神学者や牧師たちが集まって聖書をでたらめに解釈し、人間の教理を作り上げるのです。人間の教理を作る者たちは滅び、それに従う民も共に滅びるのです。イエス・キリストが創造主なる神ご自身であることを信じなさい。人間の肉体をまとって十字架で死なれたイエス様こそが、天地万物を創造された神であることを信じなさい。
イエスの血を信じ、すべての罪を悔い改めなさい。罪とは神を愛さず、隣人を愛さないことです。聖書は愛の定義を「神と隣人に対して悪を行わないこと」だと語られました。堕落した人間の心からは常に悪意が浮かんできます。そのたびにイエスの名によってサタンの考えを退けなければなりません。この世を去るまで常に悔い改め、従順であることに努めなさい。これがイエスの御言葉であり、使徒パウロが全世界に宣べ伝えた福音です。
「私自身も、ナザレ人イエスの名に敵対して、あらゆることをすべきだと考えていました。そしてエルサレムで実際にそれを行いました。祭司長たちから権限を受けて、多くの聖徒たちを牢に入れ、彼らが殺されるときには賛成の票を投じました。また、すべての会堂で何度も彼らを刑罰に処し、強制的に冒涜の言葉を吐かせようとし、彼らに対して激しく憤り、外国の街にまで行って迫害しました。そうした仕事で、祭司長たちの権限と委任を受けてダマスコへ向かいました。王よ、正午ごろ道を歩いていたとき、天から太陽よりも明るい光が私と同行者の周りを照らしました。私たちは皆、地に倒れましたが、その時ヘブライ語で私にこう語りかける声を聞きました。『サウロ、サウロ、なぜ私を迫害するのか。刺し棒を蹴るのは、お前にとって苦痛である。』私が『主よ、あなたはどなたですか』と尋ねると、主が言われました。『私は、お前が迫害しているイエスである。』」
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使徒パウロがイエスに出会う前、聖徒たちを極度に迫害しました。彼は祭司長から権限を受け、彼の思いのままに聖徒たちを捕らえ、閉じ込め、殺しました。また、彼はイエスを信じる者たちを強制的に大衆の前に立たせ、彼らに「イエスは救い主ではない」と強制的に否定させました。イエスが救い主であることを告白する時、信仰が始まります。しかし、彼は聖徒たちを捕らえて脅し、彼らに強制的にイエス・キリストを否定させたのです。これはサタンの仕業です。彼は徹底的にサタンの道具として働きました。
当時、彼の名前はサウロであり、自分では神に非常に忠実だと思っていましたが、彼は神を大きく冒涜する者でした。彼が人間の教理を通して神を信じていたからです。彼が従っていた長老たちの言い伝えは、決して聖書の言葉ではありません。彼は偽物の信仰を持って本物の信仰を迫害していたのです。今日でも、教会の中に人間の教理を信じる者が、聖書の言葉を信じる聖徒よりも多いです。ですから、偽物が本物を圧倒する時代なのです。
イエス様が突然、道を歩いていたパウロに現れました。「サウロ、サウロ、なぜ私を迫害するのか」。パウロは驚いて尋ねました。「どなたですか」。イエス様が言われました。「私はお前が迫害しているイエスである」。その瞬間、パウロは彼が迫害していたイエスが神であることを悟りました。しかし、聖書には神が人間の肉体をまとって世に来られることがすでに記録されていました。しかし彼はこの御言葉を信じなかったのです。そして、肉体をまとわれた神、イエス様が人間たちの罪を背負って死なれ、復活されることが聖書にすべて記録されていました。
しかし長老たちの言い伝えは、そのような聖書の言葉をそのまま教えませんでした。聖書の言葉を信じないことが、どうして信仰でしょうか。それは偽物の信仰です。今日の人間の教理は、長老たちの言い伝えよりもさらに悪質です。彼らは、人間が生まれる前に救われる者と救われない者に分けられると言います。一度イエスを主と告白すれば、過去・現在・未来の罪が一時に消えると言います。悔い改めと従順の人生を歩まなくても、彼らは天国に行くと言います。人間の教理は聖書の言葉を真っ向から否定し、敵対するものです。
神がお一人であることを信じ、その神がイエス様であることを信じなさい。イエス様の御言葉に従うことが信仰です。互いに赦し合い愛し合うことが、イエスを信じている証拠です。すべての至らなさと不従順を悔い改め、赦されることが救われる道です。どうして無数のクリスチャンたちが信仰の本質を離れて偽物に従うのでしょうか。賜物、能力、預言といったものは付随的なものです。付随的なものをイエス様の御言葉よりも優先させれば、救いの道は見えません。信仰の本質は、イエス様の御言葉に従うことであり、罪を悔い改めることです。
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